- 著者 : 工藤重矩(著)
- 出版社名 : 笠間書院
- 発行日 : 2014年10月
- ISBN : 9784305707406
- 「文学は何の役にたつか」という問への、我が国の思考の跡をたどる。
平安時代、古今和歌集にしても源氏物語にしても、和文学(和歌や物語等の仮名の文学)がその存在意義を主張しようとすれば、その障壁は常に儒教の価値観であった。平安時代の和歌や物語等に対する見方も基本的に儒教的文学観のもとにあったからである。それは平安時代のみならず、中世はもとより近世にも及ぶ強固な障壁であった。
しかし和歌も物語も、儒教的価値観の埒外にあった。儒教の経典のどこにも物語、和歌のことは何も書かれていない。儒教的に見れば、政治的に道徳的に役に立たない文章に社会的価値はないに等しかったのである。
中央官吏養成機関たる大学には、漢詩漢文による試験はあっても、和歌による試験はない。平安時代初頭、和歌は無用のもの価値無きものとして、儒教的価値の支配する公的世界からの衰退を余儀なくされた。それは現代の、入試科目にない教科が受験生の中で軽視されるのと同じ事情である。
それゆえ、和歌や物語の社会的有用性を主張しようとする者たちは、きわどい論理を操りながら、なんとか儒教的文学観と同調させ、あるいは仏教的価値に寄り添いなどして、その存在意義を主張していったのであった。
本書はその和文学の側の対応の経緯、苦闘の跡を、儒教の文学観との関わりを通してたどろうとするものである。それはおのずから「文学は何の役にたつか」という問に対する、我が国における思考の跡をたどることでもある。
【……文学の効用についての考え方は、今現在でも、結局は伊藤仁斎の説くところ、もっと言えば論語・毛詩大序に尽きる。儒者にとっては、もともと詩経(文学)は道徳的政治的効用のために存するのだから、社会的効用の主張は当然のことである。教誡説を排撃した宣長が、後年、物のあはれを知るを拡張すれば身を修め家を斉え国を治める道にも通ずると言わざるを得なかったのは、おそらく宣長が師と仰がれる立場に立ち、師の説の社会的効用を求める弟子が出現したからである。……「あとがき」より】※本データはこの商品が発売された時点の情報です。
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